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005)介護 アーカイブ

2009年11月25日

パッククッキング

先週の金曜日は月に一度の認知症を介護している人たちが集まる「介護する家族の会」の日でした。

いつもは介護している家族と介護職に就いている方が集まって情報交換したり愚痴ったり(笑)しているのですが、今回はパッククッキングという簡単に出来る調理方法の講習 ウィンク

パッククッキングとはビニール袋に材料を入れて電気ポットや炊飯器で仕上げる(?)いう画期的な調理方法 驚く

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簡単だけど素材のうまみを逃がさず美味しく出来上がります キス

例えば↓は大根と鶏肉の味噌煮。これをお湯が三分の一ほど入っている保温中の電気ポットに投入!

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30分(20分だったかな?記憶が定かではありませんが)放置して出来上がり~~ 笑う

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素材の旨みを逃がさないのでとっても美味しく出来上がります ウィンク

他にも玄米・ジャガイモ・蒸しパン・サツマイモ・ごぼうなども調理(?)してみました。

簡単だしガスもお鍋も使わないし、何よりも美味しい!!

講師の方がレシピ集(?)を持ってきてくださったので2冊買いましたが、まだ実践していません 悲しい

なぜなら・・・・我が家には電気ポットがないから~ 叫ぶ

 

お豆さんも美味しかったです 照れる

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2010年05月22日

介護する家族の交流会

昨日は「介護する家族の交流会」 でした。

この会が出来てから1年以上経ちますが、参加メンバーは全く増えません(昨日の参加人数は8名)。

会の存在自体が知られていないということも大きな原因ですが

その他に

「認知症」を介護するというのは本当に大変なことで介護真っ只中の方は出掛けられない・・・

家族に「認知症」がいることを内緒にしている・・・・

という方もたくさんいらっしゃると思います。

ひと月に一度の集まりでも出掛けることは難しいかもしれません。

でも・・どうかこの会に参加して悩みを打ち明けほしい・・・

同じような境遇の人達・介護のプロがきっといいアドバイスをしてくれるから!!

現に私も いろいろ助言してもらったり元気をもらったりしています。

(私の父親は認知症、母マーヤは脳梗塞を発症し右片麻痺・言語障害の後遺症があるので在宅介護が困難なため父親は昨年4月から介護老人保健施設に入所しています。)

 

そして昨日は「もっと会を充実させたいね」という全員一致の意見で外部から講師を招くことになり

早速来月の会には、東京都荒川区で活動していて全国的に名の通っている

「荒川区男性介護者の会(通称オヤジの会)」の代表者荒川不二夫氏が

ご来町くださることになりました ウィンク

どんなお話が聴けるのか今からとっても楽しみです!

そしてたくさんの方が参加してくれることを願って止みません。

 


ちょっと見栄えにする(しないかな~ 悩む )4ワンが撮れました キス   

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たらと姫は密かに仲良し 笑顔

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最近姫は細ッチョなりに大きくなってやっと3バセの体高を超えました!

相変わらず薄毛直毛ですが・・・ あっかんべー

少し大人顔になりました(顔の大きさはバセ位)。

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2010年06月23日

介護する家族の交流会

先週18日(金)は認知症を「介護する家族の交流会」でした。 

今回は外部から講師を呼んでの会 ウィンク

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荒川氏は 「荒川区男性介護者の会(通称オヤジの会)」の代表。

8年間、難病の奥様の介護をされ現在は若年認知症の息子さんの介護をされています。

介護の合間をぬって全国各地へ講演に出向いているそうです。

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事前に新聞他の広告媒体を使い告知したのですが、参加者は約20名とかなり少なめ 眉をひそめる

それでも会の後半は机を取り払って和やかに 笑う

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栃木県出身とのことで話も弾みましたが、脱線することも多かったかな 叫ぶ

が、83歳っていったら言葉は悪いけど介護される側です 驚く こうして講演に出向いてみなさんに介護の極意を伝え歩いている姿に敬意を表したい!

 

そして・・・・介護といえば私の父。

一昨年重度の貧血で入院中に認知症の症状が顕著になり、病院で大暴れ 叫ぶ

大暴れしたらなんと「硬膜下出血」に 驚く 三途の川を渡りかけましたが・・・手術の出来る病院に搬送直後、頭の中にたくさん溜まった血がなくなってこちらの世界に戻ってきました。

そして貧血の症状が落ち着くと、今度は病院を抜け出し徘徊して何度か警察のお世話になり病院を強制退院させられました 叫ぶ

その後、私と夫・妹が交代で(店の隣の)自宅での介護することになりました。

なんたって主介護者の母マーヤも介護される立場だし、父とマーヤの関係は悪いあまりよくないし、父の暴言暴力はひどいもんだし・・・みんなボロボロ 悲しい

本人はボケているなんて思っていないし、今言ったことを3分後には忘れちゃうし、認知症の在宅介護の大変さを知りました 。

ケアマネージャーと相談してディサービスへも行かせましたが、父は協調性がないので1度で挫折 眉をひそめる

そしてやっと週6日間ショートステイにお願いすることになりました。

父へは「お父さんはひどい糖尿病だからちょっとの間、ちゃんと健康管理してもらおうよ。悪くなると目が見えなくなったり足が腐っちゃうんだよ」と1日に何十回も念仏のように唱え(すぐに忘れちゃうからね あっかんべー )何とか説得に成功。(入院中に糖尿病も発見されました)

月曜日の朝お迎えに来てもらい土曜日の夕方帰ってくるこのパターンがよかったらしく、本人は「仕事に行っている」と思い込み行くのを嫌がらず、むしろ月曜日の朝は進んで出掛ける支度をしていました。(でもどこに行って何をしているかは覚えていませんでした)

ショートステイ先では暴言暴力がひどく職員の方を手こずらせていましたが・・・。

そして少し端折りますが・・・・ クール

その半年後、やっと介護老人保健施設へ入所。今に至っています。

老健入所後にもいろいろありましたが、今は比較的落ち着いているようです。

今日はちょっと顔を見てきました。 

父は昔ボクサーだったので部屋にパンチングボールを持参しています。

部屋に入るとなんとそのパンチングボールに自分で洗った腹巻を干していました、いっしょに部屋に行った職員の方と私は大爆笑 笑う あまりにもおかしかったので「腹巻付きパンチングボール」の写真を撮るといったらなぜか自分もポーズをとった父にまたまた大爆笑!

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そして今度は腹巻を取って(笑)ファイティンポーズだ 叫ぶ 笑える~

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今は体調がよいみたいですが、これから魔の夏が来るので要注意!(いつも夏に貧血がひどくなる)

 

笑う 長い文章(しかも下手)、最後まで読んでくださってありがとうございます。 

 

2010年12月14日

認知症とワンコ

今日はシーズーのアミちゃんがトリミングに来ました。

アミちゃんちのおばあちゃんはアミちゃんが大好きでとってもかわいがっています。

かわいいから1日中オヤツをあげています 驚く オヤツをあげることがおばあちゃんの楽しみなのです。

そしてそのおばあちゃんは・・・認知症。

だから1日にどの位しかあげちゃいけないとか、あげすぎたらどうなるかっていうのはわかりません(正確にはその時は理解できても忘れてしまう)。

毎日美味しいオヤツをもらっているアミちゃんはアレルギーで足や背中がガビガビかさぶただらけ~ 叫ぶ

そして超肥満 眉をひそめる コロコロに太っていてシャンプーの時濡れても小さくなりません 叫ぶ

アミちゃんのお母さん(おばあちゃんの実娘)はトリミングにご来店の度にため息 悲しい

自分が一生懸命アミちゃんのアレルギーの改善に努めてもそれに平行しておばあちゃんがオヤツをあげちゃうって・・・・・悩んでいます。

こういう時、どうしたらいいのだろうか 悩む 私もアミちゃんのお母さんといっしょにずっと(3年前から)悩んでいますが、解決方法(改善策)が見つかりません。

アミちゃんとおばあちゃんを接触させなければいいじゃん!それが一番だよ!認知症ならアミちゃんがいなくなってもわからないでしょ!って思われるかも知れませんが、おばあちゃんにはアミちゃんが心の支え。 アミちゃんのいない生活なんて考えられないのです。

認知症の不思議な所は何もかも忘れてしまうわけではなく、心に残っている「思い」は強く決して忘れないことがあります。おばあちゃんにとってアミちゃんは本当に大切なパートナー。

だからこれからもいっしょに生活して行くのですが、このままいったらアミちゃんすごいことになりそう 叫ぶ

本当にどうしたらいいのだろう・・・本気で悩む介護トリマーです。


お泊り中のペグちゃんは毎日リラたらと店番 ウィンク

お迎えを待ちつつ・・馴染んでいます 笑う

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2010年12月19日

すごいぞ!ワンコの力!!

寒いです 叫ぶ 那須は山の上の方は真っ白、スキー場も昨日無事にオープンできたみたいです ウィンク

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さてさて一昨日17日は「認知症を介護する家族の会」の忘年会で久しぶりに夜出掛けてきました。

もっともっと那須町民に知れ渡って欲しい会ですが、今年も新しいメンバーはなく 悲しい

いつもの顔ぶれで1年を締めくくってきました。

その忘年会でNさん(介護職に就きつつ認知症のお父様の介護をしている)がビックリ 驚く すごい話をしてくださいました。

*会の中での会話は他言無用という暗黙のルールがありますが、この話はぜひここで披露したくNさんに掲載の許可を得ました。

Nさんのお父様(実父)は今年100歳 驚く 、昨年までよくお散歩に出てしまい(徘徊とも言う)

Nさんとご家族はいつも大変そうでした(Nさんは介護のプロなのでそうは思っていないかもしれませんが)。

1年位前にお父様の服に付ける名前と電話番号を入れたワッペンを納品しましたが

その後はワッペンをつけなくてもすんでいました(体力が落ちてきて外に出なくなったそうです)。

そしてつい最近(10日位前だそうです)の寒い夜9時頃、お母様がお風呂に入っているちょっとの間に久しぶりにお散歩に出てしまったんですって 叫ぶ

2時間程家族総出で探したけど見つからなくて、警察に連絡。

その後、警察の方も加わっての捜索となりましたが、まだ見つからない 悩む (Nさんは今回は本気でダメかな~と思ったそうです)

そして・・・・最後の手段と思ったのか警察の方が「警察犬を要請しますか?」と。

今までも何度かお世話になったけど警察犬の話が出たのは初めてだったそうでNさん思わず

「いくらかかるんですか??」って聞いちゃったそうです。笑いながらお話していましたが本音ですよね あっかんべー

「5万円~10万円位、かかった時間によって金額は変わります」とのこと。

どうしようかと思ったけど引っ込みが付かなくて 叫ぶ Nさんは頼みました。

しばらくして警察犬到着!(黒くて大きかったそうなのでたぶんシェパードかな?)

お仕事開始の警察ワンコは早速お父様の枕カバーの匂いをクンクン 笑う

そして・・・捜索開始から10分程でお父様発見~~ 驚く 驚く 驚く 早い~~ビックリ~~ 驚く

散々探した近所の田んぼの真ん中で寝ていたんですって!寒そ~~ クール

薄い上着を着ただけブルブルしていたので救急車も出動!でも異常なしだったので病院には行かずに家に帰ってグッスリ朝まで寝たそうです。

その後も(風邪や肺炎など)大事には至らなくて、今は元気にしているとのこと、よかったよかった キス

それにしても・・訓練しているとはいえワンコの能力は本当にすごい!!

リラたら舞姫(プラス飼い主)も勉強して、何か世の役にたてないものかと本気で思った単純な私です。

・・・そして・・・気になる捜索にかかったお値段はすぐに発見できたので3万円也 ウィンク

 

 

2011年01月14日

その判定に物申す!!!!

今日、母マーヤの介護認定更新結果の報告をもらいました。

なんと!1段階軽い「要支援2」 驚く (今までは「要介護1」でした)

普通なら軽くなると喜ぶのですが・・・

「要介護」から 「要支援」になると受けられるサービスがグンと減ってしまうのです 叫ぶ

介護認定を受けてから思考錯誤の末、今のリズムが出来て状態も安定しているのに!!

那須町役場、何を調査しているんだ!!ひどいぞ!! (←お下品でごめんなさい・・)

不服が余るほどあるので異議申し立てをし、再審の手続きをする予定です。

ちょっと興奮している私 叫ぶ 冷静になったらこの続きを詳しくアップします 眉をひそめる

 

 

2011年02月02日

舞の成長&セラピー犬デビュー

またまたお久しぶりです あっかんべー 最近「週イチブログ」になりつつあります 叫ぶ

(先週土曜日に車椅子の蘭ちゃんファミリーがご来店くださった記事のアップが遅れています、ごめんね蘭ちゃん 悲しい

 

今日は久しぶりに暖かく山もきれいに見えました 笑う スキー場にも雪がたっぷりです ウィンク

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今日は舞の2歳の誕生日。

のんびりのんびり成長している舞、最近は外でもオチッコができるようになって(今までほとんど家の中でしていました)、洗濯物がぐんと減って楽になりました(洗えるシーツがトイレです)。

リラやたらともずいぶん仲良くなりました。相変わらず姫の面倒も見ています(最近は姫の方が舞の面倒を見ているのですが本犬は気づいていません あっかんべー )。

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そんなちょっぴりお姉ちゃんになった舞ちゃん、今日は私がお世話になっているAさんが経営している「ディルーム(ディサービス)」に セラピー犬として出動してきました!お供は姫。

現地に到着して・・・足も拭かずに入り口を通過しようとする舞をいつものように「舞!いけない!」と大きな声で叱ったら、「重度の認知症の方がビックリしてしまうので大きな声はNG」とまず私が失敗 叫ぶ 悲しい

そして自宅と店と病院以外の場所へほとんど出掛けたことのない舞姫はソワソワガチャガチャ落ち着きません 叫ぶ

もっともっとみんなを連れていろいろな所へ出掛けなきゃいけないな~もっとたくさんの方に接してたくさんの体験をさせてあげないといけないな~と痛感 悩む

それでも舞も姫も人懐っこいのでみんなに撫でてもらったり話しかけてもらったりしていました。

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そしてやっと雰囲気に慣れ落ち着いてきた頃、昼食になってしまい撤収 驚く

何回か行けばもっと活躍できるかな~??皆様には「また来てね!」っていってもらえたので及第点はもらえたようです ウィンク この先どうなるかわからないけど、行ける時はまたオジャマさせてもらおうと思います。

セラピー犬への道も舞の成長と同じゆっくりゆっくり歩んでいきたいです。

初出動を無事に終え帰りの車の中で爆睡の姫&家に帰ってヒーターの前で同じく爆睡の舞 ウィンク

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笑顔 おまけ 笑顔

すぐに名前を呼んでもらえるように名前を刺繍していきました。大好評でした!

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2011年03月07日

セラピー活動、本格スタートへ!その1

今日は朝から雪でやっと地面が見えてきたのにまたランも駐車場も真っ白です 悲しい

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そんな雪降る中、臨時休業して出掛けてきました。

どこに行ったかの前に・・・

「何か世のためになりたいな~」ってひとり悶々と考え、自分なりに知り合いのディサービスに舞姫とセラピー犬もどきとしてオジャマさせていただいたりしていました。

もっとセラピー犬に近づける身近な情報はないかと一生懸命考えていたら天に(?)思いが届いたのか、医療関係の仕事をしているお客様から朗報 キス

自宅(福島県南)すぐそばの特別養護老人ホームにセラピー犬を連れてふれあい活動をしているボランティア団体があるとのこと。

そしてその活動の日が今日だったので見学に行って来ました ウィンク

「県南地区動物愛護ボランティアの会」の方が愛犬を連れて毎月1回その「ふれあい活動(正式名称を聞き忘れた)」を行っています。

その会の詳細は後程ということで あっかんべー 早速今日の様子を!

 

大きなホールに入所者さんが約40名・ボランティアさん9名・セラピー犬5頭・見学3名(私含む)。

(人数・頭数はそれぞれの都合により流動するらしい)

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平成19年から続いているこの活動、ワンちゃんが来るのを楽しみにしている入所者さんもたくさんいらっしゃるそうです。

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小さい亮さんもがんばって癒します キス

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ベテラン犬はなさんはレトリーブも披露していました 笑顔

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ヌーピーさんはなぜかカメラ目線 あっかんべー

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今日はワンちゃんが少なかったのでもみんな大忙し!

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かずお君はすごかった 驚く

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おとなしく皆さんに抱っこされてパワーをあげていました。

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みかんさん(↓右)もおとなしくていい子でした ウィンク

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続く

 

2011年03月09日

セラピー活動、本格スタートへ!その2

一昨日の続き

 

このボランティア活動は(福島県)県南地区動物愛護ボランティアの会が平成19年に行政から委託され

それからずっと(毎月一回)続いているとのこと。

そして本年度も継続されるそうです。

これだけ長いこと続いているということは効果があるということですよね。

ボランティアの方の話では・・なでようと思って一生懸命腕を動かそうとしたり、笑顔になったり、

ワンちゃんを飼っていたことのある方は昔を思い出したりするそうです。

認知のない方は次回の訪問を心待ちにされているし、認知症の方はすぐ忘れちゃうけどその場ではとてもイキキされるとも聞きました。

活動中、職員の方は記録をとっていました。個人個人の変化の記録かな~ 悩む  

私もこれからこの活動に参加させていただき入所者さんの変化を見ていきたいと思います。

そしていつか那須町でも活動をスタートさせたい!若草4姉妹と共に 笑う (「もどき」じゃなくてね あっかんべー

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これからの活動の様子、この日記で報告していきます!

 

2011年11月30日

経過報告9&久々に介護の話

「復興応援コーナー」の10月27日から11月30日までの発送分の該当金額¥13040を送金してきました。久々に1万円を超えました、どうもありがとうございました 笑顔

商品が少なくなったので只今商品準備中 笑顔

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久々に介護の話、ワンコにも店にも関係ないので興味のない方はスルーしてくださいね ウィンク

3年位前から参加させていただいている那須町の認知症を介護している人たちが集まる「介護する家族の会」、ひと月に1度の集まりなのですが最近は忙しくなかなか行けずにいます 悲しい

その会が中心になって今までの活動内容や介護の体験談を報告する冊子の制作を1年程前から進めていました。 ほとんど手伝うことができませんでしたが、それがやっと完成しました~ 笑う

会の発足時からの報告なので100ページもあります 驚く 「だいじ」というのは」栃木・福島方面の方言で「大丈夫」の意。

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昨年この日記でも記事にした警察犬の話も載っています。

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介護する家族の体験談が少なかったので私の下手っぴな文章も加えてもらいました あっかんべー

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↑その認知症の私の父親。2年半前から介護老人保健施設(通称「老健」)に入所しています。通常老健は3ヶ月で退所という決まりなのですが次の受け入れ先が見つからず(というか・・生涯いられる特別養護老人ホームは10ヶ所程申し込みをしているのですが、要介護2なので順番が来ないのです 悲しい )、今に至っています。

で、そこの老健はとても無機質で現場の職員の方の対応も「物」を扱う感じ(あくまでも私の感想です)、それに父親の性格に問題があるため超高い個室に入っているので我が家の財政は苦しくなるばかり・・・。

これをどうにか打開しなくちゃいけないと今日は最近出来たグループホーム(認知症の方を生涯入所させてくれる施設)に申し込みをしてきました。グループホームも入所費用は高いけど今の所より環境がはるかにいいので同じお金を使うなら断然こちらだと思いました。でもいつ順番が来るかわかりません 眉をひそめる

いつまでこれが続くのか・・・母の介護もあるし・・・気持ちが下向きになる日も多いのですが、やるしかないです。

日本の介護事情はこれからどんどん深刻になっていくばかり、みんなが穏やかに暮らせるような法が確立してほしいと願って止みません。

 


 

2012年01月13日

13日の金曜日

今日は介護の話。

長くなりそうだし、ワンコもワン服も出てこないので興味のない方はスルーしてくださいね ウィンク

 

何度かこの日記にも登場している認知症の父親。

今入所している「老健」は(個室だから)料金がとても高く、職員の方の対応もひどく(これは私の感じ方)ここからどうやって脱出させるかずっと策を練っていました。

生涯いられる入所費用の安い「特養」も2年前から10箇所以上申し込みをしていますが、要介護2なので絶対的に順番は来ません。 母親も要介護状態で自宅に戻ってくるのは不可能 クール

(認知症状はかなり進んでいるのに身体介助は一切ないので介護度が低いのです 悲しい

同じお金を払うならきちんと対応してくれる認知症の人々が共同生活を送る「グループホーム」の方がいいかな~と考え、昨年11月に申し込みをしてきました。(「グループホーム」は本人の住所のある市町村しか入所できません、那須町は2箇所です)

で、その「グループホーム」へは半年も待たずに入れそうなのです。

しかし!!!父親は超短気で気に入らないことがあると「テメーこのヤロー」と暴言がすごいのです 叫ぶ しかも元ボクサーだから小柄なわりに力もすごい!!

「グループホーム」は少人数であまり広くないスペースでの生活だから他の入所者さんとトラブルを起こしかねない・・・・相手の方に怪我させたら大変なこっちゃですからね。

そこで「グループホーム」入所の順番を待つ間にCTを撮ったり本人に合った投薬をして穏やかに生活できるように改善をする運びとなりました。

前置きが長くなりました、ここからが今日の話 笑顔

母親がお世話になっている(介護のプロ)ケアマネージャーさん(以下ケアマネ)がとても親身になってくれ動いてくれたおかげで今日は認知症専門の精神科の先生がいる病院で受診する事ができました!(なので店は臨時休業)

病院まで車で約30分、ひとりで連れて行く自信がなかったので(前に同じような状況でかなり不穏になってひとりで大変な思いをした)妹にも来てもらいました。

車の中では問題なく無事病院に到着!病院では・・2時間以上待ったのですが父親は短気を起こすことなく静かにボーっと椅子に座っていて拍子抜け 驚く 薬が効いているんだか認知症の症状が進んだんだか・・・ 悩む ちょっと前までこんなに長い時間待っていたら大騒ぎでしたから。。

そしてやっと順番が来ました。

認知症の度合い(?)を検査する長谷川式というテストをしたり(30点満点中7点でした)、CTを撮ったりした結果、記憶を司る海馬は広範囲でやられていて重度の「アルツハイマー型認知症」という診断が降りました。

今いる「老健」では「原因を知るより今を穏やかに暮らすことの方が大切でしょう」といわれ、きちんと診断してもらえず、ただ問題行動(徘徊や暴言・暴力)を抑制する薬を2年10ヵ月飲まされていました(でもこの精神安定剤がなかったら即退所になっていたと思います)。

で、薬の内容を変更して様子をみましょうとなり「1週間後にまた来てください」といわれました。しかしそう何度も連れてくるのは時間的にも精神的にも無理・・・困っているとケアマネさんが「娘さんたちは別居で仕事もしているし通院は大変なので入院させてもらえますか?」と助け舟を出してくれました ウィンク

すると先生は「(入院するとなると)夜は職員が2名しかいないので場合によっては拘束することがあります、介護施設のようにリハビリはできないので運動機能が衰える場合があります」とデメリットをいいそれでもいいなら入院可能ですって 驚く (入院についてその他いろいろ細かい話もありました)

先生のおっしゃる通りデメリットもあると思いますが、今よりもっともっとちゃんと看てもらえると思います。 

それにしてもこんなに簡単に入院できるんだぁ~よかった~~ 笑顔 (父親の認知症はかなり重いので先生も入院の必要があると思ったのでしょう)  

入院イコール「老健」退所になるので、新たに「特養」か「グループホーム」への入所が決まるまで入院させてもらうことを約束し 、早速来週の火曜日に入院させてもらうことになりました。

(入院中に介護認定の再審査もしてもらうことになりました 笑う

居場所が変わり(「老健」には2年10ヵ月いました)薬も変わってどんな風に変化するのか予想できませんが、私的には一歩前に進めました ウィンク

今朝テレビの「今日の占い」(星座占い)では双子座アンラッキー(12番中12番目 悲しい )だったし、家を出るまでは胃がキリキリ痛み「やっぱり今日は13日の金曜日で不吉な日だぁ~~」って重い気持ちだったけど、今はスッキリ!

来週の火曜日はまた臨時休業になってしまうけど発送に支障がないよう他の日にがんばります!

介護のケースはそれぞれなのでこの話がどなたかの参考になるかどうかはわかりませんが、介護難民の現状を少しでも世に訴えたいと思い今日の出来事を記しました。

最後までお読みいただきありがとうございます。

 


 

2012年02月01日

この時期1番行きたくない所

今日は定休日 ウィンク 、ゆっくり体を休めたいけど先週私の仕事の都合&体調不良で母の定期健診を延期したため・・・

この時期1番行きたくない所 叫ぶ 、そう病院に行ってきました。しかもはしご!!(父の方にも行った)

母はいつものように血液検査と簡単な問診・血圧測定などでささっと終了!(病院はマスクをした人で溢れかえっていた)

次は父の病院に行く予定ですが、その前にここ↓↓↓

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父が入院した所は精神科なので他の科とは入院の手続きがちょっと違います(って私も初めて知った)。

「医療保護入院 」ということになるそうです。

そして患者には必ず「保護者」をつけなければいけなくて(他の科の「保証人」に当たるのかな?)、普通結婚している成人の場合は配偶者がそれに該当するらしいです。

しかし、母も要介護状態で(最近は高次脳機能障害も顕著になっている)とてもその役目は果たせません。

なので長女である私がその「保護者」にならなければいけないのです。

で、その「保護者」になるためには裁判所に行って(父と私の戸籍謄本まで持参して)「申し立て」の手続きをするのです。

我が家の場合「子」が「保護者」になるので書類が複雑でした、しかも料金2倍!

1時間ほどかけ裁判官とのやりとりを終え、書類も無事に整いました。

(父のことに関係ないけど私と妹の住所が福島県だと知り実情をよく知りもしないのに放射能汚染についてペラペラ喋りまくっていた裁判官 失言 、大人なので黙っていたけどかなりムッとしたよ 叫ぶ

さぁ、次は父の病院。(その前に回るお寿司で腹ごしらえ あっかんべー

事務手続き(さっきの裁判所での書類を渡したり)を済ませ、約2週間ぶりに父の顔を見に行きました。

病棟内は戸という戸に全部鍵がついていて職員さんがいっしょじゃないと中に入れません(精神科だからね)。

入口付近にボーっと立つ老人1名・・・父でした クール

その父に会う前に(担当の先生が不在だったので)看護士さんに話を聞くと・・・

最初は「帰りたい病」がすごくて(これは前にいた施設でもずっとそうだったし、多くの認知症の方に見られる症状のひとつ)、入口に椅子を持っていってそこで脱出を試みていたらしいです。

今はそこまで帰りたくないようですが、やはり暴力行為があったとのこと 叫ぶ

父は似たような性格の方にスイッチが入りやすいんです、4人がかりで制御されたそう・・・。

老人でも小柄でも元ボクサーだからすごい力があるので本当に心配。。

その他にも何度か小競り合いが多々あったようで、1度は大部屋に移れたけど今はまた個室。

まぁ、移動してまだ2週間しか経っていないから混乱していてもしょうがないです。

認知症専門の先生がいるからお任せするしかない ウィンク

一通り2週間の様子を聞いた後、父を呼んでもらいました。

母のことも私のこともわかりましたが、被害妄想がひどく「なんでこんなに恥ずかしい思いをしなきゃいけないんだ」とか「みんなのさらし者になっているなんてひどい」とか(同じことを何度も繰り返し)ひとりで怒っていました。

こういう時はいくら何を言っても受け入れられなくて落ち着くこともありません。

どうしようもないので早々に退散しました あっかんべー

施設と違い治療目的なので今までの生活と違う過ごし方になってかなり混乱しているのがわかりました。

でもしかたない、慣れてもらうしかないです。

この先どのようになっていくのかわからないけど・・・

 なるようになる!!!

いい加減なようだけどこれ↑↑が今の私の気持ちです。

昨日のボイラー故障&病院のはしご(プラス裁判所)でくたびれました、風邪ぶり返さないように早く寝ようっと ウィンク


 

2012年03月22日

進んでいる

☆★☆お知らせ☆★☆

勝手ながら・・・実店舗3月25日(日)午後臨時休業させていただきます。

ご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 


*今日はワンコにもワン服にも店にも関係ない介護の話です、しかもトイレの話。興味のない方はスルーしてくださいね。

昨日南ヶ丘牧場の後、父が入院している病院に支払いに行きました。

3月に入って病院内でインフルエンザが蔓延しているため面会が禁止になっているので父には会わずに帰ってきましたが・・・・

最近どうやらオシッコがトイレで出来なくなっているらしいです。

1ヶ月前には「時々失敗するのでリハパン(パンツ型のオムツ)に変えますね」と連絡がありました。

そして何日か前から、トイレがどこにあるかわからない・オシッコはトイレでするということがわからない・尿意さえ感じないなどオシッコに関することが全くできなくなってしまったとのこと。トイレじゃない所や部屋で放尿しちゃうんですって。

「部屋にポータブルトイレを置いて座ってもらってもできないんです」って看護師さんがいっていたけど今まで立ってしていたからそれは仕方ないんじゃないかと思うけど・・・ 悩む

で、「完全にオムツにして服はつなぎにしてみよう」ということになったそうです。

それから1度部屋から出ると戻れなくなってもいるって・・・・。

入院してから約2ヶ月、ずいぶん病状が悪化しています。

「介護」から「医療(看護)」に変わった事・老健から病院に引越しして環境が変わった事など進行する要因が多かったのもありますが、海馬があれだけ真っ黒になっているから・・・・。

もう、私たちのこともわからないかもしれないです 眉をひそめる

私と妹は父と仲が悪く 叫ぶ (特に私は10年位前からほとんど口を利いていませんでした)、父を憎んでいた時期もありましたが、今は憎しみはなくなりました。大好きにはなれないけどね あっかんべー

これからどの位のスピードでターミナル期を迎えるのか(もう突入しているのか?)想像できませんが、「できることはやっていこう」と妹と話しています。後悔はしたくないから(ってこれは私の都合か?)。

それから・・・・ 

こんな状態でも「要介護2」なのがなんとも腑に落ちないのは間違っているでしょうか???

今日も母の介護サービスの内容&金額が変更になったとケアマネその他お願いしている事業所の方とカンファレンスがありましたが、全く何のための介護保険なのか!!!と大声で言いたいくらいのひどい変更内容です。

これからもっともっと老人が増えるのに・・・・どうなっていくんだろう・・・。

しっかりしておくれ~~政府 クール

 


おまけ 

みんなの「天然湯たんぽ」の姫、なかなか面倒見がいいです 笑う

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2012年05月12日

終の棲家

この所、お天気が安定しないですね 眉をひそめる 那須高原は毎日強風が吹いて肌寒いです 叫ぶ

隣の牧草畑では昨日から刈り取りが始まりました 笑顔 ↓田舎の風景です ウィンク

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↓↓介護の話です、ワンコにもワン服にも店の事にも関係ありません。興味のない方はスルーしてくださいね。 


昨日の午後は臨時休業して(今週は3回も臨時休業してしまった・・)父親の入院している病院に担当の先生の話を聞きに行って来ました。

3月からインフルエンザ蔓延で最近まで面会禁止だったので父に会ったのは2ヶ月ぶり位。

病棟に着くと父は(薬の調整を上手にしてもらっているので)とっても穏やかな顔で登場しました 驚く 施設にいた時よりずっとずっと穏やかになっていました。

私のこと、ちゃんとわかっていて「おぉ~久しぶりだね~どうして来たんだ?」なんていっていました(この後このセリフは10回位出てきた 叫ぶ )。

穏やかにはなったけど先生の話によると認知症の症状はやはり「高度」で、自分の部屋から別の場所に移動すると戻れなくなっている程度とのこと。

オシッコもまったくペケになったようでオムツ代の請求がかなり多くなっています(夜のオムツも使い始めたらしい)。

また薬の副作用で「ふらつき」があるらしく(それを抑える薬も飲んでいるみたいだけど)、「なんだか立った時にフラフラするんだ」と訴えていました。薬漬けなんだな・・ クール

薬嫌いの私ですが、 諸々を考えると今の父の薬漬けをやめるわけにはいきません。ふらついて転倒しない事だけ祈っています(移動の際は看護師さんがそばについていてくれている様なので安心していますが)。

看護師さんたちは本当によく看てくれていてあの父が!おとなしく介助してもらっていました(施設では一切介助拒否でした)。これには私もビックリ 驚く さすがプロですね~。

そして!!!ここからが問題 叫ぶ 悲しい   

認知症は進行中ですが、健康状態は(貧血もなく)良好だし穏やかになったということで先生から爆弾発言 悲しい

「病院も待機中の方がたくさんいるので状態の安定しているおとっつぁん(ウソです本当はお父さんっていいました あっかんべー )は特養かグループホームに移る方向でお願いします。」だって~~ 悲しい 悲しい

今の我が家の経済状況からいくとグループホームは無理なので終の棲家は特養しかないのですが、「要介護2」というありえない判定が出ているため入所は絶対無理です。

(那須町は老人がとっても多いので判定がかなり厳しいです、母の時も再審査を申し出ています) 

先生・相談員さん・看護師さん・ケアマネさんと私の意見が「この判定に意義あり」ということで早急に介護認定の再審査をしてもらうことになりました。

その後、ケアマネさんの力を借りて特養入所への話を詰めます。2年以上前から10箇所以上の特養に申し込んではいるのですが、介護度が低いので順番が くる気配はありません 悲しい

我が家もそうですが、自宅での介護ができない家族はたくさんたくさんあります。なのにお願いできる所がちょっびっとしかないのです。日本全国でどの位の介護難民がいるでしょうか・・・・。そしてこれからもっともっと増えますよね。

なのになのに法律は「介護なんていらない」みたいな方向に向かっています(ってこれはあくまでも私の考えです)。

どうかみんなが安心して生活できる日がきますように・・・・。

(いつも介護の話は最後愚痴っぽくなりますね 叫ぶ ゴメンナサイ)


 

2012年05月19日

介護認定再調査

今日は介護の話、長いし写真もありません。興味のない方はスルーしてくださいね。

 

昨日の午後、父の介護認定再審査のため臨時休業して病院に行ってきました。

前回病院に行った時、審査の時は先生も同席してくれるといったのに~~先生は10秒ほど喋っただけで去ってしまいました(しかもドア越し、立ち話) 悲しい まぁ忙しいから仕方ないか・・・でも期待はずれだったな(この後、もっと期待はずれな事になる)。

那須町役場の審査員の他、こちら側はケアマネ・看護師(長?かな??)・私。後、本人(父)。

私は↑に先生と病院の相談員も混ざって欲しかったです。故伊丹十三監督の映画ミンボーの女の中でやくざと話し合いをする「VIPルーム」のイメージ ウィンク

さぁ、聞き取り調査(?)が始まりました。まず本人(父)にいろいろな事を質問。普通っぽく喋っているけど内容はメチャクチャです。

そして昨日もとても穏やかにしていたので「特養探すのは大変だけど、落ち着いて(症状はかなり進んでいるけど)よかった~」と思ったのですが・・・・

甘かった・・・そんなに簡単に穏やかにはならなかった・・・ 叫ぶ

父への質問が終わると(父は自分の部屋に戻りました)今度は主に看護師さんが今の様子を話します。

それを聞いていて目が飛び出る位ビックリ 驚く 驚く 驚く 驚く

ほぼ毎日暴言暴力で看護師さんの手を焼かせ、他の入院患者さんにも迷惑をかけているそうです(とてもよく看てくれているのですごい細かい所まで父の暴言暴力の話をされてしまいグッタリ)。

細かく説明すると3日あっても書ききれないので省きますが、前の老健にいた時よりひどいかも。

(先生は父の毎日の行動をきちんと把握していないのか 悩む この前の話とずいぶん違うぞ 眉をひそめる

対応の仕方にも問題があると思うのですがとにかく「怒り」の感情がものすごくて毎日振り回されているとか・・・「一日も早く特養に行ってください」っていわれちゃいました 叫ぶ

何度もいっているようにボクサーだったので普通の老人とは比べものにならないほど力があります。女性の看護師さんや患者さんに本気で殴ってしまったらとんでもないことになります 悲しい

この短気と暴言暴力は父のもともと持っている性格でそれがさらに強調されてきているみたいです。

あの看護師さんの話を聞いたら要介護3にはなると思うけど、私としてみればこのままずっとこの病院で看てもらえればありがたいです(今の状態だったらもし順番が来ても特養への引越しは不安でできません)。

調査の途中、これからの不安や今までのつらかった事を思い出したりで不覚にも涙が出てしまいました 悲しい (涙の理由が父への思いでなかったことはなかった事にします・・・)

なるようになる!なるようにしかならない!!と前向きな気持ちでいたいのですが、人間が未熟なのでなかなか難しい~~。

それでも「ひと山」超えなければならない時期が来たようなので、一休和尚の言葉を心に山越えしたいと思います。

*一休和尚が亡くなる前に「本当に困った時に開けなさい」といってお弟子さんに残した巻物の言葉大丈夫、心配するな、なんとかなる。


 

2012年09月01日

チョーヘーソク

なんだか最近また毎日揺れていますね・・・ 叫ぶ

今日は防災の日、防災バッグの中身を点検したり新しいリュックサックに何を用意するかなどいろいろ整理しようといっていたのですが・・・父のことでいろいろありそれどころではなくなってしまいました(バッグの点検も大切な事ですが)。

ということで・・・

久しぶりに介護の話。ワンコのこともワン服のことも出てこないので(健忘録だからね ウィンク )、スルーしてもらって結構です。

一昨日、父の入院先から電話がありました(アァ~心臓に悪い 叫ぶ

「1週間程前から食事がほとんど摂れず、痩せてしまいました。体力が落ちているけど相変わらず徘徊はしていて・・転倒しています」だって。。。

そして「主治医から話があるので来週の木曜日に来てください」と。痩せ細っていくのに話は1週間も先なんて 眉をひそめる 緊急事態ではないのか 悩む と思いつつ電話を切りました。

昨日、「その前に時間を作って病院に行こう」と考えていたらお昼過ぎに病院から電話 叫ぶ

「おなかがパンパンに張っているのでレントゲンを撮ったらどうやら腸閉塞の疑いがあるようです、処置のできる病院に救急搬送しますのですぐ来てください!!」とのこと。

私の場合、自営業だから「臨時休業」にして出掛けられるけど(繁忙期だったら難しい 眉をひそめる )お勤めの人だったらそうはいかないですよね。 そして妹にもすぐ電話をして搬送先の病院に来るように連絡しました。

リラたら姫チビに「お留守番、頼むね。夕方トーチャンが迎えに来るからそれまでいい子にしててね」と言い聞かせ、搬送先の病院へ。。。

救急外来での受診、 血液検査やらCT撮影やらでずいぶん待ちました(慌てて行ったのに~)。

医師の話によると「肛門付近が狭く(閉塞?)中ですごい量のガスが溜まっています、もしかすると腸がねじれているかもしれません。まず内視鏡を入れてみます、それでねじれを発見した時は内視鏡で解除します。やむを得ない時は開腹手術になります」。

それからすぐに内視鏡による検査が始まりました(この時点で父の顔は見ていません)。

待つ事2時間。どうやら開腹手術にならずに終わりました。大腸が普通の人より長くファイバースコープが途中までしか届かなかったそうです(その間は捻転はなかったらしい) 、 ガスは抜いてもらったのでパンパンだったおなかはペチャンコになって楽になったようです。といっても本人は「痛い」という感覚はなかったみたいですが(最近ほとんど喋らないし)。

はっきりした原因・病状は不明でしたが(ただガスを抜いただけ)一応ついた病名は「S字結腸軸捻転」(捻転は確認されなかったのに 悩む )。

それから一般病棟に移りここで初めて父の顔を見ました。本当に痩せこけていましたが顔色はよかったです。

また違う場所に入院となるとせん妄・徘徊がちょっと心配だけど、これだけ弱っていたら大丈夫かな?でもガスも抜けておなかの調子がよくなって暴れるかも 悩む  

その後、諸手続きを済ませ帰宅しました(20:00)。あぁ~くたびれた。。ワンコ(プラスチビ)は私がいなくて切なかったようです、みんなの体調を崩さないように気をつけてあげないと!

 

今日も病院に行きました(店午前中臨時休業)。

父は昨夜よりしっかりした顔つきで落ち着いていました。ウンちゃんもドバッと出たそうです 驚く

意識ははっきりしていたけど食べていないから本当にガリガリ(骨皮筋衛門状態)、私の肉をあげたいと本気で思いました 叫ぶ

4年前の入院時にはひどいせん妄状態に陥り本当に大変だったので今回も心配しましたが、点滴のチューブを抜いてしまっただけで朝を迎えたようです(ホッ)。

状態が落ち着くまで新たな病院での生活となります。これからどうなるのか・・・4度目の復活となるか否か。。。

しばらく臨時休業があると思います、ご迷惑をおかけします クール


 

2012年09月08日

低空飛行

ちょっとさぼってしまいましたね あっかんべー

今日は介護の話、ワンコもワン服も出てこないし長いのでスルーしていただいて結構です。

 

8月31日(金)、チョーへーソクの疑いで(今年1月から入院していた認知症専門医のいる精神科)K病院からN病院へ救急車で搬送された父。

N病院へ移って9日目となりました。病院へは妹と交代で毎日行くようにしています。

健忘録も兼ね、今までの様子を少し↓↓

当日~2日目・・・原因がわからず、きちんとした処置をしていないけど(ガスを抜いただけ)点滴で栄養が体に行き渡り回復していくのかな~と感じ。だいぶ弱っているけど、暴言暴力・せん妄・徘徊が心配。

3~5日目・・・ベッドから脱出を試み 叫ぶ 体を動かして点滴のチューブを何回も抜いてしまうため両手拘束。拘束されていても腕を動かし、起き上がろうとしている。せん妄状態も出て怒りながら何か喋っているが上の歯がないのと食べていないから声が出ないのが幸いして同部屋の方々には迷惑はかかっていない。

6~8日目・・・5日目から食事(トロミ食)が出る予定だったがレントゲン撮影の結果、また少しガスが溜まってきたので点滴続行。元を正していないんだからガスが溜まるのは当然のこと。素人考えだけど・・元々肛門付近が狭くなっている体で(脳が)元気な時は狭いながらもちゃんと調節が出来ていたのだと思う。それが認知症の進行によって肛門への命令がいかなくなってしまったんじゃないかな~ 悩む

体の中に栄養は入っているとはいえ口から食べるのと力の出方が違うようで、起き上がるガッツもなくなった。拘束しなくてもおとなしく寝ている。私たちのことはわかっているけど、視界から離れるとそばにいてもわからない(たぶん目もよく見えていないのだと思う)。呼吸が速く浅いのが心配だが酸素はきちんと体内にいっているそう。一昨日なんか「こんな浅くて速い息で苦しくないのかな~」と思いながら見ていたら・・そのうち目をつぶって呼吸が止まった 驚く ように感じたので体を揺すった。動かない。エェーッ死んじゃったの~ 驚く と慌てて看護師さんに「息してないんですけど~~~」と叫んだ。たまげた看護師さんが父の体を大きく揺すったら目を開けた。アーびっくりした。どうやら眠りに入ると深い呼吸になるようだ。何度も何度も看護師さんに頭を下げた(私、早とちりな性格なんです 叫ぶ )。この話を妹と夫にしたら「その光景が目に浮かぶ」と大笑いされた。でもあの時は本当に呼吸が止まっていたんだと思う、顔も血の気が引いていたし。

そして9日目の今日・・・入院中のN病院から「電気かみそりを持ってきてください」といわれたので今までいたK病院に「夕方電気かみそりを取りに行くのでよろしくお願いします」と電話をしたら「退院したんだから荷物全部持っていってください」と看護師さんにいわれた(父はまたK病院に戻ると思っていたので荷物はそのままにしてあった)。2箇所の病院に同時に入院扱いはできないそうだ。そんなこと知らなかったから「N病院の先生に<落ち着いたらまたK病院にお願いするのがいいでしょう>といわれたし、私もそのつもりでいた」とその看護師さんに言うと「うちは混んでいるので今度また入院できるかはわからない、それにまたガスが溜まって今回のように救急車を呼ぶのは困る」との返事 眉をひそめる まぁ、そりゃそうだけどさ。。

夕方、母を連れて病院に行った。相変わらず浅く速い呼吸でジッとボーっとしていたけど母を見てニコニコ嬉しそうだった(母は父が嫌いだけど、父は母が好きで自分はいい夫いい父親だと思っている 叫ぶ )。血圧や体温は落ち着いているけどやはりおなかは張っているようだ。看護師さんにいろいろ様子を聞いたけど医師ではないので詳しい病状はおしえてくれない(わからないのかもしれないし)。来週早々に担当医に時間を作ってもらうようにお願いしてきた。

と、こんな感じの9日間でした。

この先どうなるのだろ・・・今の所、心臓や他の臓器はまだちゃんと働いてくれているけど(血糖値はかなり高いけどね)だんだん衰えてくるのでしょうね。もう9日間も歩いていないから寝たきりになるのかな~?内視鏡に頼り続ける訳にはいかないからガスは溜まるばかりなのかな~??疑問が次から次へと出てきます。

そして今の病院には長くいられないから次の居場所(?)を考えなきゃなりません。今度は介護度が上がりそうだから特養へも入りやすくなるかな~。

なるようになる!なるようにしかならない!とわかっているけどアァ~胃が痛いよ~ クール

明日はまたみわちゃんが遊びに来てくれます、楽しみです 笑う


 

2012年09月26日

晴天

定休日の今日は久々に朝からいいお天気でした 笑う 気持ちよかった~~ キス

今月の休みは父の入院先に出掛けただけで終わってしまいました、どこかにドライブに行ければよかったのにね あっかんべー

その父ですが・・・低空飛行ながら4度目の復活を果たし、点滴もはずされ食欲にムラはあるものの自分で食事も摂れる様になりました。 一昨日の夜はまだ自分で歩けないのにベッドから起き出し、転んで 驚く もがいている所を看護師さんに発見されたそうです 叫ぶ 眠剤を飲んだ後だったので足元がよけいにふらついていたみたい 眉をひそめる 骨折しないでよかった~。

今回騒ぎになった腸の原因もわからず、その元の治療もしていないけど・・・症状は落ち着いたので次の居場所を探さねばなりません。

前にいたK病院に戻れればいいのだけど・・・ どうなることやら・・・ 悩む

いろいろ考えると胃が痛くなってしまうので「どうにかなる」と思うことにしています あっかんべー

長い時間病院にいるとくたびれるのでお昼は気分転換に出掛けました、1週間前もオジャマした↓↓らいとさんへ 笑う

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↓1週間でメニューが増えていました ウィンク ギョーザとからあげが仲間入り キス

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↓開店のお祝いに贈った小さな小さな刺繍額をメニューの脇に飾ってもらえました ウィンク

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↓今日はごまらーめんを食べました、ピリッと辛くごまたっぷりでおいしかったです 笑顔

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↓(食べかけの写真でゴメンナサイ)店に入って壁のメニューを見るなり「お~~ギョーザだ~~」と大きな声でいったら「味見してね」とサービスしてもらっちゃいました あっかんべー とっても大きくてやさしい味でぺロッといただき大満足 笑う

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那須近辺にお住まいの皆様!らーめんが美味しいのはもちろんですがオーナーご家族がとってもやさしく癒されるお店です、どうぞお出掛けくださいませ 笑顔

らーめん らいと

OPEN 11:00~(定休日は月曜日)

栃木県大田原市市野沢1162-3 


 

 

2012年10月05日

転院

今日は介護の話。

一昨日の「小学校へお手伝い」と昨日の「やまざるさんちのお手伝い」は写真の整理がまだなので、後でこっそりアップします あっかんべー

 

救急搬送先のN病院での治療も落ち着いた父(といっても根本を治していないので再発の可能性大)、次の居場所を探さねばならず、胃が痛ったのですが・・・

N病院の尽力により今までいたK病院へ戻る事ができました ウィンク

病院の都合であっという間に話は進み、昨日妹が無事に搬送してくれ父の新生活がスタート。

今度は男性ばかりの病棟(今まで病棟は女性もいて認知症の方が多かった)、どうなるんだろうか 悩む

今は弱っていて大人しいけど(N病院に入院中、手厚い看護とリハビリによりつたい歩きができるまでになっています)、落ち着いて体力が戻ってきたら・・・ちょっと不安。。

それから前も主治医に聞かれたことだけど・・・これからも予期せぬ事態が発生する可能性が多いということ、そしてその時にどういう対処を希望するのか。

私は「前もいったようにこの病院でできることをやってもらえればそれで充分です」と答えました。

そう答えたけど・・心の中では父親の命の終わりを私が決めるのか 悩む 本当にそんなことしていいのか 眉をひそめる なんて思ったり クール

でも今までも今回もちょっとしたタイミング(?)で復活を果たしている父、きっと自分の最期は自分で決めるのだろうと都合のいい解釈している私はやっぱり心が黒いのだろうか・・・。

まぁ、心配してもしょうがない クール 今までもなるようになってきた 笑顔 これからもどうにかなる、大丈夫!と自分に言い聞かせているところです ウィンク

 


自然と人を癒す歌と舞
リラ自然音楽コンサート
大震災を起点に新たな日本の未来が開かれる蛙の予言の詩
朗読「警告詩集Ⅱ アオミサスロキシン」抄


出演
歌 青木由有子
舞 月読かぐや
朗読 桑原啓善(詩人)

★郡山市 ★
日 時:2012年10月12日(金)開演18:00(開場17:30)
会 場:大成地域公民館(郡山市鳴神2丁目55)
入場料:無料
駐車場:静御前堂駐車場をご利用下さい
     (16:00~18:00 19:50~20:30
              静御前堂・公民館区間を送迎いたします)
主 催:静御前堂奉賛会(郡山市大槻町字愛宕台13)℡024-951-3263

★いわき市 ★(郡山市から高速バスとタクシーで約2時間です)
日 時:2012年10月13日(土)開演14:00(開場13:30)
会 場:いわき市立草野心平記念文学館・アトリウムロビー
    〒979-3122福島県いわき市小川町高萩字下夕道1-39
参 加:無料 (文学館観覧料は必要です。一般420円)
主 催:リラ自然音楽研究所
共 催:いわき市立草野心平記念文学館


お問い合わせはリラ自然音楽研究所まで
0467-23-8741

 


 

2012年11月15日

健康診断書

今日は久々に介護・父の話。

ワンコのこともワン服のことも出てこないので興味のない方はスルーしてくださいね。

 

4度目の復活を遂げた父、10月初旬に元のK病院に無事に転院できました(洗濯も頼めるし、面会時間がとても短いのであまり行っていません。)

その後は食欲もあり自分で食べているようです(食事は五分粥刻み食)。歩く事もできるまで回復したけど転倒防止のためほぼ車椅子での生活(転倒すると骨折しちゃうからね 叫ぶ )。

相変わらずオムツですが、尿意を感じる事もあるそうでその時はトイレで用を足すそうです(介助してもらいながら)。

認知症状は静かにそしてかなり進んでいます。混乱期のあの「テメーコノヤロー」はどこへいったやら 叫ぶ 今は精神系の薬は全く飲んでいないのに苛立つ事も無く穏やかです(薬は腸の働きをよくするものと眠剤のみ)。 徘徊もなくなったようです(車椅子だから出来ないか・・)。

今いる病棟は「精神障害のある男性」ばかり入院しているので、また騒ぎを起こすかもと心配したけど・・そんな元気もなくなり周囲に迷惑をかけずに過ごしています。

このままずっとこのK病院でお世話になっていられれば金銭的にはいいのだけど・・・そういう訳にはいかず次の居場所・特養(特別養護老人ホーム=終生いられる施設)への入所の順番を待っています(3年前から10箇所以上申し込みをしている)。

最近になって順番が来そうな特養から連絡がありました(どうやら今度の判定会にひっかかりそうです 驚く

父は硬膜下血腫や下血・貧血を何度も繰り返し輸血も2度ほどしているので健康診断をしてもらってくださいとのこと。その特養の主治医が対応できると判断すれば判定会にかけてもらえるらしいです。

で、昨日診断書ができたとK病院から連絡があったので取りに行ってきました。 

↓↓その診断書を見てたまげた~~ 驚く 叫ぶ 驚く 叫ぶ 驚く

IMG_4661.jpg

なななななんと体重33キログラム 驚く 驚く (身長158.8センチメートル)

8月31日に救急搬送された時、本当にやせ細っていて骨に皮がくっついている状態でした。その後ずいぶん肉がついてきたと思ったのだけど・・今33キロならあの時はきっと30キロなかったね 悩む

夫にこの体重を知らせたら「死んじゃうだろう」って言われたけど、生きていますから~。

妹にも知らせたら「アタシの肉20キロあげたい」と返ってきました 叫ぶ 叫ぶ

糖尿病だけどもうちょっと高カロリーの食事にならないものか 悩む 転んだら絶対に骨折しちゃうし、これからインフルエンザ 内緒 が流行りだしたら体力ないからすぐ感染しちゃうよね。

この冬どうなるのかわからないけど・・・穏やかに暮らせるようにと願って止みません。


 

2012年12月04日

チョーヘーソク再び

今日は介護の話。ワンコもワン服も出てきません、興味のない方はするーしてくださいね ウィンク

 

今日は母のペースメーカーの電池残量チェックの日で午後から病院に行くため早お昼を食べ出掛ける準備をしていると・・・父の入院先K病院から電話。なんか嫌な予感だな 眉をひそめる

「昨日からまたおなかがパンパンに張って非常に危ない状況です、処置の出来る病院に救急搬送するのですぐに来てください」だって・・ クール

またですか~ 叫ぶ (この時、搬送先の病院について「KK病院だけは死んでも行きたくないので絶対に違う病院に行けるようにお願いします」といい忘れる 眉をひそめる

すぐに妹に連絡して父か母のどちらかを頼もうと思ったら、姪のルーが腹痛でこれから病院に連れて行くとのこと・・・どうしようかな~自分がふたつになればいいのにね~~後は夫しかお願いできる人間がいないので夫の会社に電話。幸い仕事の都合が付き母のペースメーカーの方は夫に頼めホッとしK病院へ向いました。

病院までの道のりで「アァァァ~ッ!!KK病院だけはイヤだって言うの忘れた 叫ぶ なんか嫌な予感がする・・神様、どうかみんなにとって1番いい方向に向いますように」(宗教は信仰していないけど神様の存在は信じているのですぐに神頼みしてしまう あっかんべー )と念じました。

K病院に着くと「搬送先はKK病院になりました。前にお願いしたN病院は満床だそうです」、アァ嫌な予感的中だぁ クール *KK病院は4年前父が入院した時、徘徊を理由に追い出された強制退院させられた病院。その時とても嫌な思いしたのです。

嫌だけどここでダダをこねる訳にも行かず仕方なくいっしょに救急車に乗ってKK病院へ。

到着後、CT撮ったりレントゲン撮ったりして・・・入院となりました。

その後病室に移ったり手続きのための書類を書いたり。。でも一向にパンパンのおなかの処置が行われる気配がない・・・担当の先生は「点滴のチューブを抜いてしまう心配があるから鎖骨の所に埋め込むようにします」と点滴のことだけいっている・・・大丈夫なのか・・・この前のN病院では即内視鏡でガスを抜いてくれたのに・・・。

心配になって聞いてみると「破裂するような事はないから」とアッサリした返事 悩む あぁやっぱりこの病院心配だ・・(*このKK病院への思いはあくまでも私個人の思いです。この病院を信頼し慕っている方もたくさんいらっしゃいます)。

その後、点滴のチューブの根っこ(?)を埋め込む処置を無事に終えました。先生が処置室から出てくるなり「この後すぐに内視鏡でガスを抜きます。現場に立ち会ってもらいます」と。たぶん私がさっき「このままでいいのか?」とかなりしつこく聞いたから内視鏡が今日になったんだ・・・大人しくしていたらいつのなっていたことやら 眉をひそめる

まぁ、早まったからよしとするか あっかんべー そして内視鏡でガスを抜くため移動。私もいっしょに大腸内部をカメラで見せてもらいました。前のN病院ではこの内視鏡に1時間以上かかったけど、大嫌いなこのKK病院では10分もかからなかった・・嫌いだけど内視鏡の技術はこっちの方が上だなきっと クール きっと家族にも見せるというのがこのKK病院の売りなのでしょう。

前回同様、ガスを抜いたらおなかはペッチャンコ 笑顔 本人も楽になったようです。

2度目の事なのでこちらも慌てず父の様子を観察できます(こんなことに慣れたくないけど クール )。 

「暴れたら拘束します、それでもまだ暴れるような時は電話しますのですぐに来てください」と何人もの看護師さんに言われちゃった 叫ぶ きっとブラックリストに載っているのでしょう あっかんべー

いろいろ思うところはあるけれど・・・とにかく早くご飯が自力で食べられるようになってK病院に戻れる事を願うばかりです。

続く・・・


2012年12月05日

チョーヘーソク再びの続き

今日は定休日。

昨夜はもしかしたらKK病院から電話がかかってくるかもしれないと思い、ビールの栓を抜くのを我慢しました あっかんべー

無事に朝を迎え、午後は父の様子を見に病院へ。

頼りない看護師さんの話によると昨夜は暴れる事もなくぐっすり寝たそうです。

私が行った時も落ち着いていました。

腸が通常より長いことに加え認知症が進んでいるため脳からの「ウンちゃんしなさい」という指令が発令しなくなっているんだと思います。

これからどうなるのか・・考えてもきっと前に進めない。

なるようになるさ!自分に言い聞かせています。


 

2012年12月14日

チョーへーソク再発の経過

今日は介護の話。父の経過(健忘録を兼ねています ウィンク )。ワンコもワン服も出てきません。

 

・12月8日(土)

夕方店を早めに閉め病院へ行った。

(姪のルーも入院してしまったため妹には頼れないから夫に協力してもらいながら自分でいろいろやるしかない。)

病室に入ると父は両手をベッドに縛られ何やらひとりで騒いでいた 叫ぶ 上の歯が無いので良く聞き取れないけど家に帰りたいらしく「早く帰らないとダメなんだ、早くしろ」と盛り上がって興奮している。

5日間点滴だけでちゃんとご飯食べていないのに・・どこにそんな力が残っているのかという位必死だ。

最近はとっても穏やかになって盛り上がる興奮する事もなかったのに・・・本能がこの病院のいろいろを感じ取るのだろうか。

この盛り上がり興奮中に何を言っても無駄なので「もうすぐ帰れるからちょっと待ってて」と一方的に喋り、溜まっていた洗濯物を持ってコインランドリーへ非難 あっかんべー

1時間半誰もいない暗いランドリールームで洗濯しがてら時間をつぶし、病室に戻ると機嫌は直っていて「来てくれてありがとう」とか「気をつけて帰れ」とか・・・何とも認知症の心は私には理解できない 眉をひそめる

主治医の話によると症状はあまりよくないらしく、今は点滴だけなので大丈夫だけど食事を口から摂るようになるとまたガスが溜まりそうだと・・・・。点滴でも栄養は体の中に届くけど、やはり口から摂る方が血や肉になると思うから 今の状態は不安だ 眉をひそめる

これからどうなるのか??どうか穏やかになってこのKK病院でも静かに過ごしてほしい、そして何度もしつこいが早くK病院へ戻ってほしい。

 

・12月10日(月)

夜ゆっくり行く予定だったが大雪のため凍結が心配なので昼間行って来た。

1日置いたので洗濯物が溜まっていると思ったら・・・何もなかった・・・・。

ここの病院はあまり着替えさせてもらえないようだ。食事も摂っていないからウンちゃんも出なくてパジャマを汚す事もないからそのままにされているのか 悩む

病状は現状維持(?)で相変わらず点滴で栄養を摂っているだけで食事はない。

でも本人は食べていないことがわからないので、それが救いといえば救いかな。

救急搬送時に「暴れる人はミトンを買ってください」といわれたが、慌てていったため持ち合わせ お金! が無く 買えなかった あっかんべー (心の中では「今はおとなしくなったので拘束の必要はない」と思っていた)ちなみにKK病院の売店では¥5250で売られていた 叫ぶ 高いよ。

その後「早く買ってください」と催促は無いものの父は点滴のチューブをはずしてしまうため両手を包帯とタオルでベッドに拘束されている。

↓↓市販されている一般的なミトン(父のように点滴のチューブをはずしたり、自分で自分を傷つけたりするのを防ぐためのもの)

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買うと高いのなら「自分で作ればいいじゃん!」とひらめき(遅いよ!)作ってみた。

↓↓ちょうどいい厚みの生地が見つかり何度か修正をし、完成 笑う 袖口(?)を細く長めのリブにしてはずしにくいようにしてみた。せっかくだから名前も刺繍した。

IMG_5049.jpg

さっそく看護師さんに「ミトン持ってきました、お願いします」とドヤ顔で渡す あっかんべー はずさないで、ずっとしていて欲しい。

 

・12月12日(水) 

「今日はどの位の洗濯物があるのだろう」と病室に入り洗濯かごをのぞくと・・・今日も何も入っていなかった 驚く という事は土曜日から着替えていない。。。即、看護師さんをつかまえ着替えさせてもらった。看護師さんは「今日着替えたはずです」といっていたが、洗濯物出ていないし土曜日と同じパジャマだから!

状態は相変わらずで食事は点滴のみ。明日の夜主治医の話がある。これからどうなるのか?しつこいけど早くK病院に戻りたい。

ミトン、ちゃんとしていた。よかった。

 

・12月13日(木)

主治医の話は18:30からの予定だったが緊急オペが入ったらしく1時間半も待った 悲しい   

やっと主治医の話。

「今、口からは水分しか摂っていませんが腸がまた腫れてきています。このまま食事を始めるとまた何週間かでおなかがパンパンになるでしょう。出来れば人工肛門にするのが1番負担がないけど、いじってしまうことが考えられるのでS字結腸を短くする手術を勧めます。お父さんのS字結腸はものすごく長く今も腫れているので他を圧迫しています。手術でこのS字結腸を短くすれば他への圧迫もなくなるし、腸も動きやすくなるでしょう。このままにしておくと肺炎を併発したりすることもあるし、またすぐガスが溜まります。よく考えて承諾書にサインしてください。」

この病院は私と相性がかなり悪いけど医師の腕は前のN病院よりいい。きちんと原因と現状を説明し、改善策も提案している。N病院の若い先生はなんだか頼りなくて結局あの時は原因がわからないままだった。

さて どうしようか 悩む 全身麻酔への不安もあるし(体力や免疫力がかなり低下しているから)、できれば手術は避けたい。でもこのままだとまたガスが溜まるし、何より改善されないことにはこのKK病院から脱出できない。

夫・妹と相談し、「このままだとまた救急搬送になりその度に大騒ぎして忙しいし本人もつらいだろう。何よりこの状態ではK病院へ戻ることは不可能。いろいろ心配なことはあるけど手術を受けて大丈夫と医師が判断したのだからやろう」という結論になった。

もし手術してせん妄状態になって呼び出されても今忙しいからすぐに行けないけどしょうがない。なるようになるよと妹と励ましあった(姪のルーはおかげさまで少し前に退院して今は元気 ウィンク )。

明後日承諾書を主治医に渡そう。

*本人は顔色もよく落ち着いている。でもいつの間にかミトンを上手にはずし 叫ぶ 持っていた。いつはずしたのだろう 悩む 改良の余地があるな。

 

と昨日までの経過です。明日承諾書を渡して今月中に手術。

発送に支障を来たさぬようがんばらなくちゃ 笑顔


2012年12月26日

チョーへーソク再発の経過2

今日は介護の話です(健忘録)。ワンコもワン服もでてきません ウィンク 長いし、写真も無く面白くもないので興味のない方はスルーしてくださいね。 

 

・12月15日(土)

手術の承諾書を渡してくる。

父に「おなかの調子が良くなるように手術しようね」と何度かいったけど、通じない。

 

・12月17日(月)

今週から妹も洗濯要員に加わってくれるので 助かる。早速今日、行ってもらった。

病院から何の連絡も無いので「手術がいつになるか聞いてきて」と頼んだ。

夜になって家に戻った妹が「明後日19日の午後だってよ」と電話をかけてきた。え~っそんなに早いの?まぁモタモタしているよりいいけど、なんでもっと連絡をサッサとしてくれないのか。。

父の様子は相変わらず。

 

・12月19日(水) 

手術の日が定休日に当たってよかった。臨時休業しないですんだ。

「麻酔科の医師から術前の説明があるからお昼頃来てください」と言われたがいったい「お昼頃」とは何時のことなのか??とりあえず妹と一緒に12時前に病院に行った。

父の他にもうひとり手術する人がいてどちらが先になるかわからないから病室で待っているようにいわれた。

しばらく待ったけど誰も何も言って来ない。

おなかが空いたので看護師さんに「まだ何時になるかわからないのでしょうか?食事に行きたいのですが…」といったらやっと調べてくれた(一日の予定を把握していない事がおかしい)。

父の順番は後になったそうだ。で、なんと前の人もまだオペ室に入っていないと…。

この分じゃ何時になるかわからない。

腹が減ってはなんとかなので妹と病院のそばでササッと食べてまた病室でひたすら待った。

ひたすら待った。ひたすら待った。

4時になっても誰も何も言ってこない。いったいどうなっているんだ。  

4時半過ぎになってやっとバタバタし始める。

でもまだ麻酔科の医師から術前の説明はない。

承諾書にサインしないで麻酔かけるのか?

その後、なんとオペ室の入口で麻酔科の医師から立ち話で説明を受け書類にサインした(連絡不行き届き、怒)。

5時少し前、やっとオペが始まった。

それにしても手術する順番って事前に決めておけないのか?普通前もって決めておくんじゃないのか??2番目だってわかっていればバカみたいに5時間も待たないで済んだのに。リラたちに長い時間留守番させないで済んだのに。

手術は1時間半の予定だったけど約2時間半かかって7時半頃無事に終わった。

執刀医(主治医)が切除したS字結腸を見ながら説明してくれた。

父のS字結腸は通常の4倍程長く3倍位太かった 叫ぶ

病院で使われている銀色のピーナツ型をしたお皿(?)にS字結腸がてんこ盛りだった。

これだけ長かったらウンちゃんも出ないよ。。。

「これからは短くなってS字がなくなったから出やすくなると思う」と執刀医(主治医)が言っていた。

この長いのは生まれつきではなく向精神薬の副作用だそうだ。3年以上かなりの量の薬を飲んでいたから仕方ない(飲ませてもらわなければ不穏がひどくて施設にいられなかった)。

今考えると1年位前(まだ施設にいる頃)、「ウエストが太くなってズボンがきついので大きいサイズのを買ってきてください」といわれ何回か大きいサイズのズボンを買ったことがあった。

この時から徐々にS字結腸が育っていたんじゃないのか?と妹と話した。

術後の父は顔色もよく、落ち着いていた・・・というのはちょっと違うな。体につながっているたくさんのチューブが気になって気になって仕方ない。もうちょっとしたらたぶん全部抜いてしまう。

看護師さんに「たぶんチューブを抜くので拘束してください」と頼んだ。

父は拘束にもめげず 叫ぶ 「タイソン、タイソン」といってボクシングのポーズ。どうやらマイクタイソンのことを思い出しパンチが自然に出たのだろう(注:父はボクサーだった、あっマイクタイソンもボクサーね)。

せん妄がひどくならなければいいけど・・・まぁ今の状態だったら暴れても力もないし大丈夫だろうと妹と帰路に着いた(8時半)。

長い1日がやっと終わった。。。

1日も早く回復してK病院に戻れるように父にがんばってもらいたい。 

 

・12月22日(金) 

昨日は手術の翌日だというのに忙しいを言い訳に病院に行かなかった。

今日は行かなきゃ、でもオーダーが溜まっている・・・どうしよう。

困っていたら救世主登場!義弟が行ってくれると電話があった。助かった!

父は両手を拘束されているのにおなかのチューブを抜こうとしたそうで血尿が出ているらしい。

それ以外は落ち着いていてもうすぐ食事開始になるとのこと、まずまずの回復か?

 

・12月23日(日) 

術後4日目。店を早仕舞いして病院へ。

病室に入ると相変わらず点滴のチューブやらモニターのコードやらがたくさんついている。 

血圧や脈拍などは落ち着いているようだ。

元気も出て「手が動かない、はずせ」とわめいている。かなり大きな声なので同部屋の方達に迷惑をかけて申し訳ない。

見た目は元気になったけど(元気過ぎというか、スイッチが入っているような感じ)、体の中はイマイチらしい。

看護師さんの話によると「今日撮ったレントゲンを見ると腸がまだ動いていなくてガスも出ず溜まっています。食事を摂っていないからウンちゃんも出ないし…。」とのこと。

悪い所を切ったからよくなるという簡単なもんじゃないという事だ。

3年以上飲んでいた向精神薬がこんな風に副作用として出るんだ…。

でももう飲んじゃったことだし、当時は飲んでもらうしかなかった、仕方なかった。

どこまで回復するかわからないし、どうなっていくのかも神のみぞ知ることだけど、悔いが残らないように出来る事はやろう。出来ない事は仕方ない。

 

・12月25日(火)

めちゃめちゃ寒い。 今日は妹が行ってくれた。

やっと「飲み込む」リハビリが始まったらしい。あとベッドを起こすリハビリ。

約3週間、食べたり飲んだりしていないからっていってもそんな「飲み込む」リハビリなんてしなくても大丈夫そうなもんだけど・・・認知症だからね。

現実、水を飲みたいといったのであげたらむせっていたそうだ。

それから・・いつも妹は父の所に行くと「私が誰だかわかる?」と聞くそうだが、昨日は初めてしかも帰るまで誰だかわからなかったらしい。

介護が始まって4年とちょっと。その間、半年以上父に会わないことがあってもちゃんと妹の事はわかっていたのに。妹はちょっと戸惑っていた。

たまたまわからなかっただけか?それともひとつ先に転がったのか??

またいつものセリフだけど、なるようになる!

 

と、昨日までの様子。 

今日も寒いですね、皆様どうぞご自愛くださいませ。

介護しているご家族の皆様も風邪などひかぬようお気をつけて。


 

2013年01月17日

一難去ってまた一難

一昨日から全身筋肉痛でロボットのように動いています 叫ぶ

明日も寒いそうですね、雪がなかなかとけなくて困ります 眉をひそめる 毎日降り続けている地方を思えばこれ位どうってことないか・・。

↓↓チビから皆様にひとこと 笑う

IMG_5306.jpg

昼間、父の入院している病院から電話がありました(本当に心臓に悪いです)。

先週無事に転院してホッとしていたけど、今度は何?

「お宅のおとっつぁん、この方インフルエンザに感染しました。昨日は39度まで熱が上がりましたが、タミフルを服用して今日は35度代まで下がりました。回復してきているのでもう心配は無いと思いますが、ご報告しておきます。」と主治医の話(家族に「この方」っていう言い方は変だよね あっかんべー )。

体重も落ちているし、昨年末に手術して代謝や体力も落ちているだろうから感染してもおかしくないけど本当に感染するとは 驚く

今年もいろいろありそうな・・・そんな気がします 叫ぶ

 


 

2013年01月30日

チョーへーソク再発の経過3(転院まで)

今日は父の誕生日、だから介護の話。ワンコもワン服も出てきません。

昨年末から1月8日(火)の退院までの記録(健忘録)。

 

・2012年12月29日(土)

昨日行く予定だったが、(私が)発熱でヨレヨレだったため今日に。

父の状態は落ち着いていて、ミトンも腕の拘束もしていない。私の事もわかって穏やかだ。

この前妹の事がわからなかったのは一時的なものだったみたい。

食事も始まっていて、重湯とドロドロのミキサー食を自分で食べている。

医師の話によると腸の腫れもおなかの張りも無く、ウンちゃんも出てくるようになったので年が明けたら早々に転院出来るとの事。5度目の復活だ。

それにしても今年は1年父の変化がすごかった。来年はどうなることやら。大晦日は妹が行ってくれるので私は今日が仕舞いの日。

 

・12月31日(月)

妹に行ってもらう。ちゃんと妹の事がわかって、「早く帰ったほうがいい」と何度も言っていたらしい。

「口から食事を摂る」という事は本当に大切で、身体の血となり肉となるんだと痛感している。

食事を自分で食べるようになった父は、ベッドから起き上がろうと何度も柵を掴み上半身を起こしていたそうだ。力も腹筋も無いから絶対に起き上がれないんだけど、何度もチャレンジしていたそうだ。

 

・2013年1月3日

年が明けて初めての病院。外来は救急の患者さんで溢れている。マスクはしているけど、足早に病室へ向う。

洗濯物はてんこ盛りだった。食事を摂るようになって、ウンちゃんが出ているからパジャマが汚れることが多くなった(父は骨皮筋衛門なので小さいサイズのオムツでも大きくて、その上動くようになったから隙間からウンちゃんがはみ出る)。

看護師さんに様子を聞くと「おなかは張っていないけど、ウンちゃんは出ないので坐薬使っています」とのこと。なのに洗濯のパジャマはてんこ盛り??そして下着は1枚も出ていない。看護師さんに問おうかと思ったが飲み込んだ。この病院では何を言っても無駄(期待もしていないけど)。

もうすぐK病院に戻れるからソッとしていよう。最近少し大人になって「我慢する」ことが出来るようになった私(成人したのはずいぶん昔だけどね あっかんべー ) 。

肝心の父は落ち着いていて(身体拘束一切無し)、ジッとベッドで大人しくしていた。

いつもいつも病棟に入るなり、医師をつかまえ「様子はどうですか?」と聞くのだが、今日はちょっと遠慮して看護師さんに聞いたけど…詳しい返事をもらえなかった。面倒くさがられてもうるさい家族だと思われてもやっぱりちゃんと医師に聞かなきゃダメだな。

 

・1月4日(金)

夜、KK病院の相談員さんから「経過が良好なので8日(火)にK病院に戻れることになりましたが予定はいかがでしょうか?」と電話。何だか急だけど予定もヘッタクレも無い!「ハイハイ、大丈夫です大丈夫です!8日行きます!」とふたつ返事をした。

 

・1月6日(日)

妹が行ってくれた。「何か聞いてくることはあるか?」というので「もう明後日転院だからソッとしていよう、何も聞かないでいい」と答えた。

夜になっても妹から電話が無かったから何事も無く洗濯だけして帰ったのだろう。

 

・1月7日(月)

3年以上前から入所申し込みをしていた特養(生涯いられる施設=特別養護老人ホーム)の一箇所から電話があった。「順番がずいぶん上がってきたので現在の状況をおしえてください」とのこと。

この特養は私の第一希望の所、ちょっと嬉しくなってチョへーソクの経緯を話した後「今はとっても穏やかです、よろしくお願いします!!!!!!!!」と大きな声になってしまった。

 

・1月8日(火)

午後臨時休業してKK病院へ行った。ひとりで上手く移送できるかちょっと不安もあるが、いつもの「何とかなる」で乗り切ろう!

病院に着くと看護師さんから何の説明もない(これが普通なのか?)。「これから転院なのですが何をしたらいいですか?」聞いたらやっと退院の手順をおおまかにおしえてくれた。

そして支払いを済ませ荷物をまとめて車へ詰め込んだ。

その後はK病院到着時間まで逆算してもまだ時間があったので病室で待機。

何か物足りないぞと思ったら・・・・主治医(その他の医師からも)の話がない!術後の経過や現状の説明もしないで退院させるんだ。いいよいいよもう、今日からもうK病院に戻るから何も言わないよ。

結局、主治医の顔を見たのは手術を勧められた日の10分と手術当日の5分だけ。。。これってどうよ 眉をひそめる

車までは看護師さんがついてきてくれた。そして車椅子から車への移乗もやってくれた。

今回は寝ている時間が前より長かったので歩けるまで回復していない。足元はかなりフラフラしている。K病院に戻ってどこまで回復できるか・・・。

車の中では静かにしていた。何か話しかけてスイッチが入ってしまうといけないので(暴れたりすることはないだろうけど)、K病院までの約10分間運転に集中した。

K病院に到着!病棟入口に車を付け、看護師さんを呼び車椅子に移乗してもらって無事に病室へ行けた。

よかった、やっとK病院へ戻ってこられたぞ。と思ったのも束の間、「ここでの治療はもう完了しているので施設(特養)への入所をどんどん進めてください。あくまでもそれまでのつなぎですから。」とここの主治医にピシャリとやられた。

確かに今は穏やかになって精神系の薬は寝る前の安定剤だけだ。私もお金は今よりかかるけど施設の方が認知症に合ったケアをしてくれるから(介護だからね)引っ越しさせたいと思っている。

だ!け!ど!順番が来ないんだよ~~!!3年以上前から10箇所以上の特別養護老人ホームに申し込みをしているけど、順番が来ないんだ~~!!

と、この特養絡みの話は長くなるのでまた今度。

 

・1月18日(金)

申し込みをしている事すら忘れていた特養から電話があった。

「順番はまだ来ないのですが現在の状況をおしえてください」とのこと。3年以上待ってやっと順番が上がってきたようだ。

 

こんな年明けの父。腸の手術もしたし、落ち着いてくれればいいけど認知症は進むばかりだからどうなることやら。私の希望する特養へ早く引越しできるといいな~。


 

2013年03月14日

引越し

今日は久々に介護の話、ワンコもワン服も出てきません。

 

昨年12月に大腸の手術をして5度目の復活を遂げ、今年1月8日に搬送先のKK病院からK病院に戻ってきた父。

K病院ではインフルエンザや感染症が蔓延している1~3月は面会が禁止なので、この2ヶ月間どんな状況なのか不明でした クール

以前は(病棟のスタッフさんに)電話で様子を聞くことが出来たのに、今は先生にアポをとって先生に直接聞くというシステムなんだそうで・・・・まぁ、何かあればすぐに電話がかかってくるからとソッとしていました。

その間2月の中旬から特養(特別養護老人ホーム=生涯いられる施設)入所に向けいろいろ動きがあり(この話は長くなるので後でアップする予定)、先週土曜日からワァ~ッと話が進み12日(火)に1日がかりでK病院から終の棲家となるN苑へ引越完了 笑顔

当日は妹にも来てもらったのでスムーズに事が進みました 笑う (それでも1日がかり)

↓↓仲の良い親子を装った写真 叫ぶ しばらく父に会っていない夫に今の父の様子を見せるために撮影しました。

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父の顔は肉がついてややふっくらしたけど・・体は相変わらずガリガリ 驚く 足首なんて私の手首より細いです クール まぁ33キロだからね。

KK病院で寝ている時間が長かった(というよりほとんど寝ていた)からか、K病院に戻ってから前のように歩くことは出来なくなっていました。

筋肉が硬くなってしまい、ベッド~車椅子間の移乗も自分では出来ず介助が必要になりました。

意思の疎通も・・・う~~ん 悩む かなり怪しくなっています。妹のことを私だと思い、私の事は誰なのかわからない様子でした。

「この先」がどの位あるのか神のみぞ知るところですが、出来ることは妹と協力してやっていきたいと思います。

 

K病院で着用していた「つなぎ服」は「拘束」になるので施設では着ません。夜はパジャマで昼間は洋服に着替えます。

前の施設(老健)で着ていた服がヨレヨレになっていたので、店にある生地でトレーナーとズボン(今時はパンツっていうのかな?)を作ってみました↓↓☆の中は名字 ウィンク これを着ていれば誰だかすぐわかります 笑顔

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